映画 斬、

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ヴェネチア映画祭レポート

第75回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品しておりました『斬、』。現地時間の9月7日に記者会見、フォトコール、続いてレッドカーペット、公式上映が行われ、塚本晋也監督、池松壮亮さん、蒼井優さん、前田隆成さんが参加しました。

記者会見 (参加者:塚本晋也監督、池松壮亮、蒼井優)

Q:監督に質問です。私が知る限り、侍が人を殺すのをためらう映画は観たことがありません。このような時代、戦さ時の参戦忌避は不可能だったと想像されますが、侍としては異質なキャラクターを生み出した経緯をお話しください。

監督:江戸時代の終わりごろを描いた映画、いわゆる時代劇の中では(侍が)人を殺すことは当たり前で、あるときはそれがヒーローであったりしますが、本当にそうなのか?という疑問が自分の中にわきました。例えば今の若者が江戸時代の終わりの武士の社会に行って、実際に人を殺さなければいけなくなったときに、本当に何の躊躇もなく主君のために自分の命を投げ捨てるということができたのか、何の疑いもなくそういうことをしていたのかなと思ったのが、この映画をつくるきっかけでした。(侍の)時代に行って聞くことはもうできませんが、戦争に行った方々というのはまだ生きていらして、実際に伺ってみたのですが、その方々も戦争をやっているときは行くのが当たり前なので、誰も戦争に行くのを疑わなかったということでした。時代として(人を殺すことが)当たり前になりますと、やらなくちゃいけなくなるわけです。そこに大きな危険を感じています。今、世界や日本の現実は戦争の方に近づいていく流れになっています。そんな中で、今の普通の若者が、もし江戸時代に行って本当に人を殺さなくてはいけない状態になったとき、どうなるんだろうと考えてつくったのがこの映画です。

Q:俳優のお二人に伺います。どのようにして役にアプローチしましたか? 今回の役を演じられて、現代に通ずるものを感じましたか? 監督が現代の状況との近似性について語られていましたが、どのように解釈しながら役作りされましたか?

池松:脚本を読ませてもらったときに時代劇でありながら、これは現代劇でもあるし、戦争を描いた映画になると感じました。ものすごく想像力が問われる役でした。これは世界にある痛みについての映画になると思いました。自分が知らない過去の痛み、今こうしているときにもある痛み、そしてこれからおこるであろう未来の痛み、そういうところに想像力を働かせてやらせていただきました。

蒼井:“ゆう”という役をやらせていただきましたが、女性キャストが少ない中で“ゆう”という一人の女性を演じるだけではなく、“ゆう”の中に女性の持つ色々な側面が出せればいいなと思って演じました。セリフを言っているときに、一人の女性として言っているような、そして現在生きている私、蒼井優個人として言っているような、そういう不思議な感覚がおきました。とても楽しみながら演じさせていただきました。

Q:この映画は暴力への懐疑がテーマだと思うのですが、一方で暴力描写が魅力的にも描かれているようにも思いました。その両義性がこの映画の面白いところだと思いますが、監督はどのようにお考えですか?

監督:前作の『野火』はひたすら戦争の恐ろしさ、暴力を見せてうんざりだと思わせることが目的の作品でした。今度の映画では少し感じが違っています。僕の演じた“澤村”という役は今までの時代劇では、むしろ拍手喝采を送りたくなるような人物です。でもこの映画では、いい人として見終えるかどうかはかなり疑問があります。そこが大事なところで、今までの時代劇やヒロイズムへの疑問を皮肉的に投げかけています。相手をやっつけに立ち上がるシーンは、自分で編集していても「ヨッシャー!」という気持ちになるんです。多分お客さんもそういう気持ちになると思います。そういう気持ちで見ていた人の目の前に段々と刃が突き刺さってくるような、そんな映画にしたいと思いました。

Q:ところどころユーモラスな台詞やトーンが出てきますが、それをいれようと思われた理由は?

監督:今回は少なめだったと思うんですが、僕のギャグって大味なギャグで、最も大事なところで使ったりします。今度の映画でいうと、映画前半のほうはいわゆる時代劇のように、殺陣の稽古を一生懸命やっている二人が戦う者として成長していくのを、あたかも拍手を送るように描いているのですが、映画の途中で急に、戦いの門出が、パキッ!と枝が折れるように折れてしまいます。これは僕の中ではかなりギャグなのですが、一方ですごく真面目なテーマも入っています。ギャグと大真面目なテーマを混ぜたりするのが、割と好きです。でも、大味なギャグでポキッと折れたところから、実はこの映画の一番大事なテーマが始まっていきます。

Q:デヴィッド・クローネンバーグ監督とはお会いしましたか?クローネンバーグ監督の映画に大きな影響を受けたということですが。また本作は、一人の戦う男の変わりゆく様を描き、侍の時代における新たな侍像を生み出したと解釈できるのではないでしょうか。

監督:デヴィッド・クローネンバーグ監督のことは『鉄男』という映画をつくったときに“お父さん”と呼んでいました。自分はクローネンバーグ監督の息子のつもりで『鉄男』をつくりました。今回は来ていらっしゃると聞いて、お会いしたいなという気持ちと、実際目の前にしたら緊張して逃げ出してしまうんじゃないかという二つの気持ちが入り混じっています。新しい侍像ということに関しては、まさにその通りです。今まで観客の方々がいわゆる時代劇のヒーローはこうだと思っているはずのヒーローと、そうじゃないヒーローが出てくるわけですが、観客のみなさまにどちらに感情移入しますか?と問いかけるような映画になっています。自分としては両方に感情移入できるようにつくったので、あとはみなさんがどう感じるでしょうか、という投げかけになっています。

Q:『斬、』というタイトルについて、人を殺すということ以外に、例えば、「これまでの思いを断ち切る」といったイメージも感じました。また、最後に読点が付いていますが、監督のタイトルにこめた思いをお聞かせください。

監督:「これまでの思いを断ち切る」というのは考えていなかったのですが、とてもよいアイデアなので使わせていただきます。引き出しにいただきます。………そうです。(会場笑い)『斬、』の「、」については、斬ってそこで終わりではなく、斬ってそれからどうなる?という投げかけのつもりで「。」ではなく「、」にしました。スタッフにも聞いてみたところ、「、」が斬ったあとの血にも感じるし涙にも感じるという反応をもらい、これでいいなと思いました。

Q:「叫び」のような映画というコメントがありましたが、それについてお聞かせください。

監督:『野火』という戦争映画をつくったとき、それまで日本は70年間平和な時代が続いていて、自分たちは平和を享受してきたのですが、戦争に実際行かれた方がだんだんと少なくなってくるにつれて、戦争の方に自然と近づいていっていると感じました。これまでは、戦争なんか絶対に嫌だと強く思う人たちが常にいて、戦争をしたいと思う人たちの気持ちをぐーっと押さえていたと思うんですが、戦後70年というのは兵隊として実際に戦地に行かれた戦争体験者の方たちがほとんどいらっしゃらなくなってしまった年。本来戦争をしたかった人たちがだんだん鎌首をもたげてくるように感じました。まるで目の上のたんこぶがなくなったかのように、堂々と戦争に向かえそうな時代が来てしまったことに対して、とても恐ろしいと思ったからこそ『野火』をつくりました。この映画をつくったことで自分はある程度ものを言えたと少し気持ちが晴れるかと思ったのですが、それから3年の歳月が過ぎても一向に不安や心配が晴れないのです。人は怒りや緊張状態を持続させることはできないので、その不安がだんだん日常化していき、時には何も考えずにぼやっとするのですが、ぼやっとしながらも、時々恐怖でうわーっと叫びたい感情が湧き上がってきました。その時に、昔から考えていた、一本の刀を過剰に見つめてしまう若い浪人の話を描くときが来たと感じました。このアイデアは20年ほどずっと考えていましたが、その浪人の心と自分の叫びがばちっ!と合わさり、今の時代、今この瞬間に叫びたいという思いが高まり、割と一気にとても短い時間でばっ!と爆発して叫んだという感じの映画です。いつものように長い時間をかけてつくったというよりは、脚本も一気に書き上げ、とても短い撮影期間のなかで、この素晴らしい俳優さんたちの一瞬のセッション、短いスパークをカメラが絶対逃さないようにする中に、自分の叫びをのせていった作品になりました。

Q:キャストの2人にお聞きします。これまで塚本監督の作品をご覧になって、どんな監督だと思っていましたか?実際にお仕事をしてどんな印象をお持ちになりましたか?

池松:僕が10代で映画を志した時に、監督はもう日本の最前線で映画を撮っていましたし、時代感覚や自分のスタイルを持って撮っている方という印象でした。個人的にファンでしたが、こちらからお願いして仕事できる監督ではないと思っていたので、いつかどこかで想い続けて俳優をしていれば、お会いできるんじゃないかと願っていました。実際に仕事をしてみて、監督は本当にすごい才能をお持ちです。何でそんなこと思いつくんだろう?という日々を送る中で、監督から出てくる言葉や動きの一つ一つを、見逃すまいと現場では夢中になっていました。

蒼井:役者を志す前に、すでに芸能事務所には所属していたのですが、私の家ではクラシックバレエやクラシックコンサートなどにしか触れることができなかったので、はじめは映画のことを全く知りませんでした。お金がないのでお小遣いをためて、近所のレンタルビデオ屋さんでかたっぱしから映画を観ていました。『双生児』がその中の1本で、岩井俊二監督の『PiCNiC』、坂本順治監督の『顔』、そして塚本監督『双生児』、この三本で私は自分が知らないこんなにも面白い世界があったんだと、心が震え、映画の世界に憧れを抱くことができたんです。塚本監督とお仕事ができるとは思いもしなかったです。(監督は)音楽室に飾られているバッハの絵と変わらないくらい遠い存在で、同じ日本映画界にいても、ものすごく遠い存在だったので、今回お話いただいてすごく、怯みました。

Q:蒼井さんに質問です。演じられた役が女性を代表するような役で、現代を生きる蒼井さん自身の思いも込められたということですが、その思いも教えてください。

蒼井:女性の代表という感覚ではないのですが、女性のたくましさも美しさも愚かさも色々表現できたらいいなと思いました。池松さん演じる“杢之進”に惹かれていてそのままずっと思い続けるという役かなと思っていたら、本を読んでいくうちに、強い“澤村”という存在にも惹かれたり、そういった弱い部分やミーハーさみたいなものもこの役に込めることで、私の想像力で考える時代劇とは違って、よりもう少し現代に近づけさせることができるかなと思って演じてみました。

Q:映画の美しさに心が震えました。『鉄男』から今作のてんとう虫への飛翔が素晴らしいです。てんとう虫もキャストの一部と感じました。自然と深い結びつきを持つ傑作を生み出したという意識はありましたか?

監督:構想自体は20年考えていましたが、いざやろうと決めてからはすごく短い時間で瞬発的に撮ったので、正直いうと自分でも、撮り終わったときにどういう映画をつくったのかという意識があまりなかったんです。ですから、お客さまの反応にとても興味があって、今日の夜の公式上映でもどんな反応なのか見ながら、だんだん自分の映画のことをわかっていこうと思っています。この作品のことを理解してくださってありがたいです。(質問者の)エンリコさんは、ローマ国際ファンタスティック映画祭で『鉄男』がグランプリを頂いた際の審査員のお一人なんです。その方がそんな風に言ってくださってとても嬉しく思います。ありがとうございます。

フォトコール(参加者:塚本晋也監督、池松壮亮、蒼井優、前田隆成)

レッドカーペット・公式上映(参加者:塚本晋也監督、池松壮亮、蒼井優、前田隆成)

そして公式上映前のレッドカーペット。朝から降っていた雨も奇跡的にあがりました。石川忠さんのてがけた音楽が流れる中、まずヴェネチア国際映画祭初参加となった主演の池松壮亮さんが車から降りると待ち構えていた観客たちから歓声がわき、続く車両でヒロインの蒼井優さんがピンクベージュ色の柔らかいドレスで華やかに登場!その後塚本晋也監督と新人俳優前田隆成さんが到着すると大喝采がおきました。会場前に詰めかけた多くの塚本ファンたちから「ツカモトー」と声をかけられると監督はサインや写真撮影に丁寧に答え、蒼井優さんの写真を持参しサインをお願いする外国人のファンも見られました。

その後、監督・キャストの4人は満席となったメイン会場SALA GRANDEにて約1000人の観客のみなさまと一緒に『斬、』を鑑賞。上映後、エンドロールが始まると大きな拍手が湧き起こり、約5分間にも及ぶスタンディングオベーションで熱烈に歓迎されました。退場するまで拍手が鳴り止まないほどの盛り上がりでした。

興奮冷めやらぬ公式上映直後、塚本監督は「俳優の演技が本当に素晴らしかったので、それを見てもらいたいと思ってきました。やっと初めてのお客様に観ていただけて晴れ晴れしくホッとした気持ちです。その場にいたお客様があたたかい雰囲気だったので、僕自身も楽しめました。すごく大きな反応をいただけました。」と語りました。

主演の池松さんは「あっという間の出来事でまだ咀嚼できてないですが、上映後に観客の顔を見たときに撮影のことを思い出しました。今はただただ光栄です。この4人でヴェネチアに来れたことは、とても幸せです。いま噛み締めています。」ヒロインをつとめた蒼井さんは 「(撮影現場の)山道を歩いていた私たちが、レッドカーペットの上を歩いているなんて不思議な気分です。塚本監督の作品に参加できるだけで幸せなのに、こんな素敵な島に連れて来ていただけて、観客の反応を見た今もまだ夢みたいです。エンドロールが始まった瞬間からスタンディングオベーションが始まるなんて想像もしていなかった。この場にいれることに、監督に感謝しかないです」とコメント。期待の新人俳優の前田さんは「生まれて初めてサインしました。素晴らしい場所に立たせていただいて夢みたいです。映画に出演したのも初めてで、貴重な体験をさせてもらい本当に感謝しかないです。」と涙ぐんでいました。